仙台最後の刃物鍛冶

仙台最後の刃物鍛冶、10月に廃業 区画整理機に決意

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鋼をたたいて延ばす村上さん

 仙台市宮城野区鉄砲町に江戸時代から続く村上鍛冶(かじ)店が、10月いっぱいで廃業する。同店は1737(元文2)年に仙台藩の鉄砲鍛冶として創業し、現在の村上清一さん(70)で7代目。仙台市に残るただ一人の刃物鍛冶だ。鉄砲町で進む土地区画整理事業で移転を余儀なくされ、廃業を決めた。

 村上鍛冶店は明治時代に入って、刃物鍛冶となった。村上さんは植木ばさみや家庭用はさみ、包丁などを手掛けてきた。

 鍛冶屋の朝は早い。午前7時前には作業を始める。コークスを敷き詰めた1000度を超える火床で地金と鋼を熱し、金床の上でカンカンとたたいて延ばす。赤く焼けているところに鉄とホウ酸を混ぜて塗り、切り金と鉄を接造する方法は昔と一緒。暑い日は大変な作業だ。
 今は、廃業すると知った植木職人さんたちから注文が相次ぎ、忙しい毎日だ。

 仙台駅東第二土地区画整理事業に伴い、来年までに移転しなければならない。6年後には鉄砲町に帰って来られるが、「年齢的な問題もあり、6年も休むと体がなまってしまう」と廃業を決意した。

 職人の町だった鉄砲町には藩制時代から続く建具店や表具店なども多かったが、すでに移転し、廃業した職人も少なくない。
 村上さんは「鉄砲町には助産師さんから葬儀屋まですべてそろっていたが、区画整理後はビルだけの街になる。昔は隣同士みんなで何でも助け合ったけれど、これからはどうなるか」と寂しげだ。

 村上鍛冶店の道具類は仙台市歴史民俗資料館宮城野区五輪)に寄贈され、企画展などで公開される予定。

 資料館は村上さんがはさみを作る工程のビデオ撮影も行っており、貴重な歴史資料として残す。
 資料館によると、仙台市内の鍛冶職人は農機具を作る野鍛冶だけとなる。

[河北新報]
2005年08月19日金曜日

25年以上前,私が勤務する会社はこの鉄砲町(そして二十人町)エリアにあった.自社もやはり仙台市の意向により,新たに作られた工場団地への移転を余儀なくされ,現在に至っている.そのため,他人事とは思えない.
戦災を免れ,城下町仙台の面影を色濃く残していたこのエリアも,10年前から本格化した再開発により,いまは空き地だらけ.空き地になる前にもっと写真に撮って置くべきだったと後悔.