死の予感との葛藤

三島、自決後の果たせぬ約束なぜ?元雑誌記者が秘話刊行
2005年11月11日07時01分


三島と会った日に前田さんがまとめた取材メモ。「ボクは、三十五才から四十才までの年代の人は信用してないんだ」といった三島の言葉がある=前田さん提供

 作家・三島由紀夫が東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部で割腹自殺したのは70年11月25日。週刊ポスト誌記者だった前田宏一さん(69)=横浜市栄区=は、その直前に三島に取材し、27日に再び会う約束をしていた。「果たせない約束をなぜしたのだろう」。胸に秘めてきた経緯と疑問を「三島由紀夫 最後の独白」(毎日ワンズ)として25日に出版し、初めて明らかにする。

 前田さんが東京・南馬込の三島邸を訪ねたのは11月17日。「昭和ヒト桁世代の男の品格」という企画で、30分ほど取材し、最後に知人の写真家が三島を撮りたがっていると伝えると快諾してくれた。そこで、日時はいつがいいかと尋ねた。

 「25日はのっぴきならない用がある」と三島は自分から日付を示したうえで「2日もあれば片が付く」と述べ、27日に撮影することにした。

 その8日後、三島は自決し、前田さんは衝撃を受けた。実現できない約束をした理由を探して、三島の著作を読み、「楯の会」の元会員の話を聞くなどしてきた。

 三島の死から35年。前田さんはいま、「覚悟はしていたが、必ず死ぬとは思っていなかったのだろう。計画がうまくいかなければ、警察の調べは受けるが、軽微な事件で済むと考えていたのでは」と思っている。

 〈文芸評論家・松本徹さんの話〉 失敗の可能性を三島が冷静に考えていたことを裏付ける言動だろう。総監を拘束し、自衛隊員を集め演説するという計画は簡単ではない。失敗して帰ってくる事態もあり得ると考えていたのだと思う。

[asahi.com]

個人的に純文学者中「最後の天才」であると思っている三島の,興味深いエピソード.
歴史に「もしも」は有り得ないが,,仮に,右傾化が進行中の今現在まで三島が生存し,今「楯の会」を結成していたら,呼応する自衛隊員が現れて,歴史は変わっていたかもしれない.
天才ゆえに,その思考も常人の40年先を走っていたのかも知れません.