こっちもネタ切れ

大阪・門真市長、府知事演説を「拝借」 施策方針の文言酷似
2005年09月22日16時54分

 大阪府門真市の園部一成市長(67)が、20日の市議会で行った就任後初の所信表明演説の一部が、同府の太田房江知事が昨年3月、再選直後に府議会で実施した府政方針演説と酷似していることがわかった。園部市長は同日、「引用した事実を述べなかったことについては申し訳なく思っている」との談話を出した。

 市長演説の冒頭にある「『地域主権』『生活者の視点』『民間との協働』を政策の軸として、時代の変化に対応した市政への転換を進めてまいりたい」の部分では、太田演説の「府政」が「市政」に、語尾の「まいりました」が「まいりたい」に変わっただけ

 さらに、「400年の周期で文明史的に大きな変化が起こり、首都機能移転の周期ともピッタリ重なっている」と、市長が時代認識を語り、東京一極集中体制の終わりを指摘しているところは一言一句、同じだった。

 また、市長が基本目標として掲げた「たくましく希望あふれる門真」「市民が生き甲斐(がい)の持てる優しさのまち門真」も、太田知事の「タフでたくましい大阪」「府民一人ひとりが生きがいをもって暮らせる大阪」と酷似していた。

 共産党の市議が22日朝、同市に指摘して発覚した。市長室によると、演説の原稿は園部市長が自ら作成したという。

 園部市長は府議を経て今年6月、市長に初当選。府議会事務局によると、昨年3月の太田演説の際は、本会議に出席していたという

[asahi.com]

得てして,政治家の所信表明演説は,ブレーンが文の粗筋を立てるものである.為政者自身が起案する,ということはバックのブレーンが存在しないか,存在しても信用していないことになる.
バックにブレーンを持たない政治家というものは,本人の權能で何でもできる「余程の切れ者」かブレーンの存在意義すら理解できない「デクノボウ」のどちらかとなる.切れ者」にとっては,文才もまた必須技能のはずであるが,如何?