拡張路線の失敗→早期撤退

銀河高原ビール清算へ 東日本ハウス 関係会社が生産継承

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 東日本ハウス盛岡市)は25日、12月に子会社の銀河高原ビール(東京)の清算手続きに入り、ビール事業から撤退すると発表した。採算確保が難しく、単年度黒字のめどが立たないことから「グループ全体の経営を圧迫しかねない」と判断した。清算後は、東日本ハウスの関係会社、東日本沢内総合開発(岩手県沢内村)が「銀河高原ビール」のブランドを継承、事業規模を縮小して生産を続ける。

 銀河高原ビールは1996年創業。2001年に東日本ハウスがそれまでの累積損失194億円を処理した上で、新たに同名の会社を設立し、全国向けの製造販売に踏み出した。

 しかし、業界の競争激化などもあり業績は好転せず、02年度以降は単年度で十数億円の赤字が続いた。04年9月期決算の売上高は58億5000万円。現在の累積損失見込みは107億円。

 銀河高原ビール清算に伴い、東日本ハウスは、総額75億円の特別損失を05年10月期決算に計上する。連結での純損失は80億円に上る、と業績予想を修正した。

 東日本ハウスは、約78億円の資本金から40億円を減資し、損失の補てんに充てる方針。このため、新たに第三者割り当てによる40億円の新株式発行を行うことも、25日の取締役会で決めた。うち20億円を資本に組み入れ、経営安定化を図る。

 東日本ハウスの小国健司取締役は「経営改善に努めたが、ビール事業の収益確保は難しかった。清算処理後は、主力の住宅事業を軸にし、06年10月期決算での黒字回復を見込んでいる」と話している。

2005年08月25日木曜日
[河北新報]

この記事には記載されていないが,銀河高原ビール地ビール解禁を機にブームとなり,その勢いを駆って九州地方にも工場を進出させていた.
発泡酒等の発売による売上低迷,という業界固有の背景は致し方ないとは言え,他地域にも工場があり,大量生産される「地ビール」はもはや本来の「地ビール」ではない.拡大路線そのものが誤りであった,とみるべきであろう.