バブル期のツケ

「職級」制度はもうひとつの危機的状況を生み出している.それは,バブル期という「企業にとっての採用難」の時代に大量採用した「使えない」人間がこぞって主任級の年齢に達してしまい,全人件費の半分以上,ひどいところだと7割以上が彼らへの報酬となってしまっているのである.また,バブル崩壊後,新卒採用を見合わせたことともあいまって,部下がひとりもいない「主任/係長」を大量に生む事態になっている.つまり,年功序列企業において,今現在の「主任/係長」は肩書きだけで,能力的には疑問が残る状態である,といえよう*1.しかも,彼らの存在は,コスト面で企業を圧迫するだけにととまらず,社内のモラル低下にもつながる可能性がある.つまり,新入社員を含めた下の世代の人間が「部下なし役職者」が多数存在する自社の状況を考えてみたとき,「上が詰まっている」状態であることに気付き,自分の昇進はどうなるのだろう?という不安を掻き立てられるのである.

*1:実は,日本国内の「能力主義」「成果主義」導入の契機自体が,経営者サイドから,今現在30代の「バブル採用世代」の人間の数を減らしたい,という思惑であった.経営者としては,この世代の人員を解雇したいのだが,労使協定や組合との絡みで,うかつに首切りに走るわけには行かない.そこで突如脚光を浴びたのが「能力主義」「成果主義」という「言葉」だったのである.だが,経営者層を含めた全社的,抜本的な体質改革,具体的には新人を除く全社員年俸制や,降格人事の導入等を行わなければ,先に挙げた某コンピュータメーカのような失敗を犯すことになる.だが,このような抜本的な給与体系の変更は,組合側が阻害するであろうことも想像に難くない.