Web日記を書く、という行為

インターネット上に個人の日記を記す、という行為について考えてみる。なぜWebに日記を書くのだろうか。
それまで別のメディアで日記を記していたが、不便を感じてWebでの日記に移行した、という「ある意味健全な」ユーザならば問題はないだろう。しかし、「流行だから」とか「なんとなく」という理由ではじめた 日記/Blog は「三日坊主」になる可能性が非常に高い(調査結果:ウェブログの3分の2は「三日坊主」)。また、インターネット(Web)というメディアの特性(即時伝播性,広域伝播性,ロボットによるページ自動探索の存在 etc)を理解せぬまま日記を開始すると、「儀礼的」で例示されたような意図せぬ結果を招きやすくなる。
上記のような特性を知った上で「それでも書く」というユーザは、何をそんなに表現したいのだろう。
もしかしたら、表現や意思表示ではなく、何かの不満をぶちまけるための捌け口なのかもしれない。インターネットでの発言は、年齢、居住地域、社会的地位、所得格差、性別、ありとあらゆる実社会での「差」が隠蔽されたフラットな擬似社会への発言であり、現実社会での鬱屈した不満を曝け出すにはうってつけのメディアであることは疑う余地もなく,かつ,日記と言う他者が入り込む余地の無いメディアであれば,匿名掲示板における発言とは異なり,「揚足取り」や「発言に対するいわれのない誹謗中傷」といったマイナス要因からも逃れることも可能なのだ.
もう一点、Web日記を書き続ける理由として考えられるものがある。それは(言葉の響きは非常に悪いのだが)簡単に言えば「売名行為」である。インターネットはフラットであるがゆえに、実社会では決して有名になることが出来ないであろう弱者にとっても、機会は均等に与えられる。掲示板への匿名の発言ではなく、敢えて「日記」というスタイルをとる理由として考えるられるのは、「書き手」を見てほしい、という欲求が存在するからに他ならない。ただし,このような場合は,「自分の発言に責任が持てる」人間であることが最低限,かつ必須の条件となる.*1

*1:自分の発言に責任をもてない人間は,この目的で日記を開始するべきではない.不適切な文章を書いたことで裁判などに持ち込まれた場合を考えれば自明.