文章と読者

日記は自分自身に対して意味を持てば事足りる、ということは昨日記載した通りだが、日記を除き、
本人しか見ることが出来ないメディアに、自分以外の誰か宛の文章を書くという状況はありえるであろうか。考えられる状況としては、故人宛の追悼文、あるいは遺書を書く際ほどしかないような気がする。
つまり、某かの文章をメディアに書き記すという行為は、(自分を含めた)誰かに読まれることを想定して行われる所作であり、逆の見方をすれば、読者を想定していない文章はメディアに残す必然性がないわけである。